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ビジネスのヒント19〜歴史を知る_マレーシア

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↑オランド統治時代につくられた協会     ↑歴史の生き証人のマラッカ川

 

 東南アジアに関する無料セミナーを開催させて頂いての感想ですが、特に現代史にはなりますが、歴史的な背景も踏まえてお話しさせて頂く機会が度々出てまいります。例えば、シンガポールは元々マレーシア連邦に含まれておりましたが、元々中華系の方々が多かったため結局独立することになったなどの話ですが、現在は過去のからの流れの1時点と考えますと、過去を知ることがビジネスをしていく上でも、一つ重要な要素になるかと存じます。今回から4回シリーズで各国の歴史について調べていきたいと思います。その第1回目は、私が青春時代の1年間過ごしたマラッカのあるマレーシアです。

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1. マラッカ帝国
 11世紀以降になると海のシルクロードとして中国・東南アジア・中東の交易が盛んになってくるととともに、マラッカ海峡の交通の要所としてマラッカは成長してきました。そしてそのような交易路を通じて13世紀にはイスラム教が伝来してきました。

 マレーシア(当時は呼称は違いますが…)が歴史の表舞台に出てまいりますがのは、1400年代が一番最初になります。1400年にその後マレーシアの大部分を手中に収めるマラッカ帝国が、パラメスワラによって成立致しました。明に王朝として認められて朝貢貿易がはじまり、世界史でも大船団を組んで世界の海に飛び出していった明の鄭和も、その当時マラッカ帝国に立ち寄っております。そしてマラッカ帝国の首都が、マレーシア半島とスマラトラ島の間にあるマラッカ海峡の丁度真ん中にあり、マラッカ川が流れ込む河口にあるマラッカです。気候的には、マラッカ海峡のど真ん中になるため、風が非常に通り難い土地であるため、マレーシアのその他の都市と比較しても、非常に体感温度が高い場所となります。

 またこの当時、明への朝貢貿易に伴って、中国から移住して来た人たちは、現地のマレーシア人と交わって出て来たのがババニョニャと呼ばれる人たちで、その人たちが生み出した文化・料理などが、中華系とマレー系の良いところが合わさったプラナカン文化・料理として今でも引き継がれております。

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2. 植民地時代
 マラッカ帝国成立後100年ぐらいした1500年代に入って、欧州諸国が世界中に植民地開拓のために世界中に航海に飛び出して行きました。大航海時代の始まりです。大航海時代が始まってまもなく、その影響はマラッカ帝国にも及んでまいりました。1511年にはポルトガルがマラッカを攻めて来て、マラッカを占領して植民地として支配するようになりました。その時、マラッカ帝国の王様はジョホールに逃げてジョホール帝国を設立致しました。故に、現在マレーシア国内は半島側の11州のうち、マラッカには王様がおりません。ちなみにもう1州はペナン州です。
 またこの時期に日本史でも有名な鉄砲伝来はマラッカから伝わったり(諸説あり)、日本に最初にキリスト教を伝えたかのフランシスコザビエルが立ち寄った場所でもあります(丘の上にあるセントポール協会に銅像があります)。

 そしてポルトガルの植民地時代も長くは続きませんでした。その後、インドネシアにその権益を拡大していった東インド会社を擁するオランダによって、1611年にはマラッカの統治権を奪われる事態となりました。その後も、歴史の趨勢で海洋国家として植民地支配力を伸ばしてきたイギリスによって、最終的にはマレーシアの全般の植民地が進められ、第二次大戦時に日本軍がマレー半島に入るまで、その統治が続くこととなりました。

※詳細は現地、Melaka History and Ethnography Museumに伺って頂けるとよく理解して頂くことが可能です。

 

<余談>

その昔、街場のレストランでジョホールの王様をお見かけすることがあったのですが、見た目ヨーロッパ人の血が混ざっているのではという印象を受けました。。。

 

3. 近代国家の成立
 第二次大戦後、マラヤ連邦の成立が認められることとなりましたが、今だにイギリスの植民地であることには変わりはございませんでした。そして迎えた1957年8月31日に、粘り強い交渉の末、初代首相としてトゥンアク・アブドゥル・ラーマンが立って独立を勝ち取ることができました。そして現在のマレーシアとしては、1963年に、その当時までイギリスの植民地であったサラワク州サバ州が割譲されて成立することとなりました。しかしながらその2年後に、それまでも対立が深かったシンガポールが独立することとなり、現在の形となりました。

 

 ざっと歴史について書いて来ましたが、一つ抜けていたこととしまして、現在いる中華系マレーシア人の方々ですが、移民として約100年前ぐらいに、当時はスズ鉱山への労働力として中国南部福建や広東から移住して来られた方々です。今は世代的には3世代目から4世代目になるのですが、家庭では今でも元々の出身地の言葉を話しておられることが多いです。その彼らの文化についても知ることが、色んな文化を知るということで仕事をしていく中でも一つの楽しみになってくるかもしれません。