〜For Bridges’s Blog〜

100年以上継続するブランディングを目指して

ビジネスのヒント22〜歴史を知る_タイ

f:id:Forbridges:20190201000143p:plainf:id:Forbridges:20190201000206p:plain

 マーケティングに関わる東南アジアセミナーを開催させて頂く中で、歴史について説明する瞬間があるとのことで、初めて歴史を知るシリーズですが、もう最終回となります。4回目の今回はタイになります。地形的には、これまで取り上げて来た半島マレーシアやインドネシアとは異なり、メコン川チャオプラヤ川の大河が注ぎ込む肥沃な三角州から成り立つ平野が多いため、数多くの王朝が入れ替わり立ち替わり覇権を争っておりました。また日本史においても、戦国時代末期に傭兵的に統治に移り住んだ武士も多く、その中でも山田長政等の人物が有名で教科書にも出てまいります。またマレーシア・インドネシアシンガポールのところで取り上げたように、それぞれの国では植民地時代がございましたが、東南アジアで唯一独立を保ち続けた国となります。

 

blog.forbridges.co.jp

 

1. 古代 <出典:Wikipedia

 冒頭にも書きましたが、インドシナ半島は大河によって形成された三角州を保有しているために、日本の戦国時代ではないですが、度々王朝が代わったり、長く年月王国として継続していたとしても、栄枯盛衰の流れの長かで国の版図が大きくなったりちいさくなったりということが生じて来ました。

 古い文献では、ドヴァーラヴァティー王国がバンコクの西60kmぐらいにあるナコン

パトムを中心としたモン族の都市国家として6世紀に成立致しました。紆余曲折があり11世紀までは存続することが可能でした。また同時期の成立したラヴォ王国は、現在のバンコクから北に約150km行ったロッブリーを中心として成立し、この国家は14世紀まで継続することとなりました。同じく7世紀に、バンコクから北に約700km弱、チェンマイから南に20km行ったランブーンを首都とするハリプンチャイ王国ができて、その王国も13世紀まで継続して存在することができました。当初は都市国家的な形が多かったために、その他の王朝と並存して長く生き長らえることができました。これが日本の戦国時代であったり、中国の王朝であったりしますと、徹底的にやってしまう部分がございますため、中々ここまで長い年月存続することができる形にはなりませんでした。

 古代から中世にかけての主役となりますクメール族(現在のカンボジアに多く住む民族)が打ち立てた国として、クメール王朝がございますがその原型は5世紀に成立し、7世紀初頭には元々の宗主国であった扶桑国を退けております。その後、版図の拡大を続けて行き、9世紀にはインドシナ半島での地位を不動のものにしていきました。そして12世紀にスーリヤヴァルマン2世が即位すると、更に勢力を拡大して行きクメール王朝としての最大版図を保有することになりました。繁栄を極めた当時のクメール王朝では、現在世界遺産に登録されている" アンコールワット"を30年の月日を費やして建立致しました。当初はヒンズー寺院として作られたものの、後に仏教寺院に改修されることなりました。そんなクーメル王朝ですが、内部抗争による弱体化により周辺にその他の王朝が設立され、最終的には後に出て来たアユタヤ王朝に滅亡させられることとなりました。

 

2. 中世近世

 13世紀のクメール王朝の混乱の後に、タイ族最初の王朝であるスコータイ王国が建国されました。首都はバンコクから北に400km強の位置にあるスコータイで、数代に渡って繁栄を致しましたが、後に起こったアユタヤ王朝に徐々に圧迫され、最終的には吸収合併をされ、15世紀半ばまでには消滅してしまいました。

 また同時期に起きた王朝としては、当初バンコクから北に800km行ったチェンラーイを首都としたラーンナー王朝がございます。建国から300年程度は文化的な隆盛を誇った時期もありましたが、国内の失政や西から力を伸ばしてきたビルマ・タウングー王朝の支配を受けることとなりました。その後、ビルマの王朝が変わる中で重要拠点であるチェンマイを奪還することに成功し、最終的には20世紀までこの王朝は存続することができました。

 スコータイ王朝が、14世紀半ばに衰退して来た時期に、バンコクから北に80km程度行ったアユタヤを首都とするアユタヤ王朝が成立しました。詳しくは5つの王朝に分かれますが、これが現在まで続いている王朝の原型となります。アユタヤ王朝は、世界各地域との交易をすることで発展をし、冒頭にも述べた日本とも交易があったことで日本史の教科書にも出てまいります。また王朝成立以降からスコータイ王朝クメール王朝やマラッカ帝国などの周辺諸国との争いもあり、版図の拡充や縮小を繰り返してきました。1511年には、マラッカ帝国同様にポルトガル接触を図ってまいりました。その後、ポルトガルには通商許可を与えたり、その他の周辺諸国を植民地化してきた欧州の列強がタイに接触を図ってまいりました。いくつか理由がございますが、①中央集権化の確立②近代化の促進③強かな外交戦略④ベトナム側のインドシナを支配していたフランスとマレー半島を支配していたイギリスがの緩衝地帯であった等の理由から、中世から唯一独立を保ち続けた東南アジアの国として存続致しました。

 

 ざっと書かさせて頂きましたが、詳細についてはまだ書き足りないと思いますので、ご興味がございましたら、是非調べてみて下さい。日本と違い大陸でありますので、色々な人種が入り混じる形で歴史が織り成されているため、非常に興味深い歴史となっております。