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ビジネスのヒント21〜歴史を知る_シンガポール

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 歴史について知るの第3回目になります。3回目の今回はシンガポールの歴史についてです。基本的にはその歴史は近代からになりますが、それ以前はどうだったのでしょうか。

 

1. 古代、中世 <Wikipediaより>

 古代からマラッカ海峡の最南端にあるシンガポールの地理的な条件により、船舶の寄港地として拠点となっていたようです。そしてインドネシアから起こった王国による支配を受けたりしておりました。既に7世紀の文献には、テマセック(海の街の意味)という名前でシンガポールが記述されていたようです。

※テマセックは、シンガポールの政府が所有する投資会社の名称として用いられております。

 またその後、14世紀末にはサンスクリット語で"ライオンの街"を意味するシンガプーラという名前が定着しました。ちなみに、マレー語での表記はSingapuraとなっておりまして、国家の中でもそのように歌われております。
 そして、マラッカ帝国が成立した後には、シンガプーラもその支配下に置かれましたが、1511年のマラッカ帝国の陥落に続いて、1513年にシンガプーラポルトガルの侵攻による壊滅的な打撃を受けて、その後はマレー半島にある1漁村として存在するのみとなりました。

 

2. 植民地時代

 約300年間に渡って漁村として存在してまいりましたシンガプーラでございますが、1819年にあのラッフルズホテルの名前の由来となっておりますトーマス・ラッフルズさんが初めてシンガプーラの戦略拠点としての重要性に気づいて、当時支配をしていたジョホール帝国から割譲を受けて、その開発を進めてまいりました。また当時、シンガプーラと読んでいたところも英語式にシンガポールと改められました。そして、当時保有をしていたペナンとマラッカと合わせて海峡植民地に組み入れられ、その首都としての役割を果たすようになってきました。

 

 またシンガポールは、インド、オーストラリア、中国大陸などとの間の貿易の中継地点として、そしてマレー半島で取れた天然ゴムやすずの積み出し港としても発展してきました。マレーシアのところで書いた華僑の方々も、この時期に、これらの一次産品のプランテーションの労働力として、福建・広東・潮州・海南島から来ました。

 

3. 第二次大戦前後

 1942年が日本軍がマレー半島に入ってきた当時イギリスの植民地であったシンガポールを奪還致しました。その後、第二次大戦が終了した後に、イギリスが戻ってきてしまうことで、戦前から盛り上がりを見せていた独立運動ですが、その独立の目が摘み取られてしまいました。しかしながら、各国の反発やイギリス自体の力の低下により、1958年には、外交と国防を除く自治権を与えられた後に、1963年にはマラヤ連邦の一員として加盟致しました。しかし、マレーシア人優遇政策を優先するマラヤ連邦と、元々中華系住民が多かったシンガポールとの間で対立が深まり、1965年8月9日にマラヤ連邦から追放される形で独立を果たしました。

 

 今でもシンガポールの上水はマレーシアの水源から水を引いてきておりますため、よく水の取引を巡ってもめたり、新幹線等の交通システムに関わる課題でもめたりと、マレーシアとの間では頻繁に問題が生じているのは、過去からの遺恨が残っている面もございます。そうは言いつつも、先日も、マレーシア首相のマハティール氏の講演を拝聴してきたのですが、シンガポールのリークワンユー氏や、インドネシアスカルノ氏がご存命だった時は、みんな仲間のようで丁々発止しながらも仲良くできていたことが良かったとしみじみと語られておりました。